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トットちゃんは、体には、何の障害もなかった。だから、「しっぽがあるか?」と聞かれても、平気だった。でも、高橋君は、背が、伸びない体質で、自分でも、もう、それを知っていた。だから、校長先生は、運動会でも、高橋君が勝つような競技を考えたり、体の障害という羞恥心を無くすために、みんな海水着なしで、プールに一緒に入るように考えたり、とにかく、高橋君や、泰明ちゃんや、其の他、肉体的な障害のある子から、そのコンプレックスや、「他の子より、劣ってる」という考えをとるために、出来るだけの事を、していたし、事実、みんな、コンプレックスを持っていなかった。それなのに、いくら、可愛く見えたからといって、よりによって高橋君に、「しっぽがあるんじゃない?」というような不用意な発言は、校長先生には、考えられないことだった。これは偶然、朝の授業を、校長先生が、後ろで参観して、わかったことだった。女の先生が、涙声で、こういうのが、トットちゃんに聞こえた。「本当に、私が、間違ってました。高橋君に、なんて、あやまったら、いいんでしょう……」校長先生はだまっていた。そのとき、トットちゃんは、ガラス戸で見えない校長先生に(逢いたい)と、思った。わけは、わからないけど、好調先鋭は、本当に、私たちの、友達だと、いつもより、もっと強く感じたからだった。大栄君も同じ考えだったに、違いなかった。校長先生が、ほかの先生のいる職員室じゃなく、台所で、受け持ちの先生に怒っていた事を、トットちゃんは、忘れなかった。(そこに、小林先生の、本当の教育者としての姿があったから……)という事は、トットちゃんには、わかっていなかったんだけど、なぜか、いつまでも、心の残る、先生の声だった。春が……トットちゃんにとって、トモエでの、二度目の春が、もう、本当に、近くまで、来ていた。
校庭の木には、緑色の柔らな葉っぱが、どんどん生まれていた。花壇の花も、咲くのに大忙しだった。クロッカスや、ラッパ水仙、三色スミレなどが、次々と、トモエの生徒たちに、「はじめまして」をいった。チューリップも、背伸びをするように茎を伸ばし、桜の蕾は、まるで“用意ドン!!”の合図を待っているような恰好で、そよ風に揺られていた。プールの横にある、小さくて四角いコンクリートの足洗い場に住んでる金魚は、黒の出目金をはじめ、みんな、それめ、じーっとしていたのが、のびのびと楽しそうに体を動かしていた。何もかもが、光って、新しく、生き生きと見える、この季節は、誰かが口に出していわなくても、もう、「春!」って、すぐわかった。トットちゃんが、ママに連れられて、初めてトモエ学園に来た朝、地面から生えてる校門に驚き、電車の教室を見て、飛び上がるほど、喜び、校長先生である小林宗作氏を、「友達だ!」と決めてから、ちょうど、一年たち、トットちゃん達は、めでたく、ピカピカの二年生になったのだった。そして新しい一年生が、昔、トットちゃん達が、そうだったように、キョロキョロと学校に入って来た。トットちゃんにとって、この一年は、本当に充実していて、毎朝が待ち切れない一年だった。チンドン屋さんを好きなことには、代わりはなかったけど、もっともっと、いろんな好きなことが、自分の周りにあることを知った。前の学校で、「もてあましもの」として退学になったトットちゃんが、今は、もっとも、トモエの生徒らしいように育っていた。でも、「トモエの生徒らしい……」。これは、ある点、親にとっては、心配でもあった。校長先生に、すべての面で、子供を預け、信頼してるトットちゃんのパパとママですら、たまには、(大丈夫かな?)と思うことがあった。まして、小林先生の教育方針を半信半疑で見て、現在のことだけで、すべてを決めようとする親の中には、(これ以上、子供を預けておいては、大変!!)と考えて、よその学校に転校させる手続きをする人もいた。でも、子供はトモエと別れたくなくて、泣いた。トットちゃんのクラスには、幸いなことに誰もいなかったけど、ひとつ上のクラスの男の子は、転んだときに出来た、膝小僧の、かさぶたをブラブラさせながら、涙をポロポロこぼして、黙って校長先生の背中を、握りこぶしで、叩いていた。校長先生の目も、真っ赤だった。でも結局、その子は、お父さんとお母さんに連れられて、学校を出て行った。何度も何度も振り返りながら、手を振って、出ていった…… でも、悲しいことは、それくらいで、また驚きと、喜びの毎日が来るに違いない二年生に、トットちゃんは、なったのだった。ランドセルも、もう、すっかり、背中とお馴染みになっていた。
トットちゃんは、日比谷公会堂に、、バレーの“白鳥の湖”を見に連れて行ってもらった。それは、パパがヴァイオリンで“白鳥の湖”のソロを弾くからと、とても、いいバレー団が踊るからだった。トットちゃんにとって、バレーは初めだった。白鳥のお姫さまは、キラキラ光る小さい冠を頭にかぶって、本当の白鳥のように、軽々と空中を飛んだ(ように、トットちゃんには見えた)。王子さまは、白鳥のお姫さまを好きになったkら、そうじゃない女の人は、誰がなんと言っても、「要りませーん!」という風に踊った。そして、最後に、やっとのことで、二人で仲良く踊った。音楽も、とても、とても気に入った。家に帰っても、トットちゃんは、ずーっと、このことを考え、感動していた。だから、次の日、目が覚めるとすぐ、モシャモシャの頭のまま、台所で用事をしてるママの所に行って、いった。「私、スパイと、チンドン屋さんと、駅の切符を売る人と、全部やめて、白鳥を踊るバレリーナになる」ママは、驚いた風もなく、「そう?」といった。トットちゃんにとって、バレーを見たのは初めてだけど、校長先生から、イサドラ?ダンカンという、素晴らしいダンスをするアメリカの女の人の話を、前から、よく聞いていた。ダンカンも、小林先生と同じように、ダルクローズの影響をうけていた。尊敬する小林先生が好きだというダンカンを、トットちゃんは当然、認めていたし、(見たことがなくても)親しく感じていた。だから、トットちゃんにとって、踊る人になる、という事は、そう特別のことでもないように思えた。折も折、ちょうど具合のいいことに、その頃、トモエには、小林先生の友達で、リトミックを教えに来ている先生がいて、学校のすぐそばに、ダンスのスタジオを持っている、ということだった。ママは、その先生にお願いして、放課後、そのスタジオでレッスンを受けるように、取りはからってくれた。ママは、「何々をしなさい」とかは、決していわなかったけど、トットちゃんが、「何々をしたい」というと、「いいわよ」といって、別に、いろいろ聞かずに、子供では出来ない手続きといった事を、かわりにやってくれるのだった。トットちゃんは、一日も早く、白鳥の湖を踊る人になろうと、ワクワクして、そのスタジオに通った。ところが、その先生の教え方は、かわっていた。トモエでやるリトミックの他に、ピアノやレコードの音楽にあわせて、「お山は晴天」とかいって、ぶらぶら歩いていて、突然先生が、「ポーズ!」というと、生徒は、いろんな形を自分で作って、その形で、静止をするのだった。先生も、ポーズのときは、生徒と一緒に、「アハ!」というような声を出して、「天を仰ぐ恰好」とか、ときには、「苦しんでいる人」のように両手で頭を抱えて、うずくまったりした。ところが、トットちゃんのイメージにあるのは、キラキラ光る冠と、白いフワフワした衣裳を着た白鳥であって、「お山は晴天」でも、「アハ!」でもなかった。トットちゃんは、ある日、勇気を出すと、その先生のそばに行った。先生は男だけど、頭の毛の前髪を、おかっぱのように切っていて、毛も少し、縮れていた。トットちゃんは、両手を大きく広げ、白鳥のように、ひらひらさせながらいった。「こういうの、やんないの?」鼻が高く、目が大きく、立派な顔の、その先生は言った。「僕の家じゃ、そういうの、やんないの」 ……それ以来、トットちゃんは、この先生のスタジオに、だんだん行かなくなってしまった。確かに、バレーの靴も履かず、はだしで飛び回って、自分の考えたポーズをするのも、トットちゃんは好きだった。でも、キラキラ光る小さい冠を、どうしても、かぶりたかったんだもの。別れ際に先生はいった。「白鳥もいいけど、自分で創って踊るの、君、好きになって、くれないかなあ」この先生が、実は、石井漠という、日本の自由舞踊の創始者であり、この、小さい町に止まる東横線の駅に、「自由が丘」という名前をつけた人だ、などということを知ったのは、大人になってからのことだった。
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