第77章

小说:挪威的森林(中日双语版)作者:村上春树字数:3510更新时间 : 2017-07-31 14:04:06

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僕は下に下りて店の電灯を点け、文庫本の棚を探してみた。読みたいと思うようなものは少なく、その大半は既に読んだことのあるものだった。しかしとにかく何か読むものは必要だったので、長いあいだ売れ残っていたらしく背表紙の変色したヘルマン?ヘッセの『車輪の下』を選び、その分の金をレジスターのわきに置いた。少くともこれで小林書店の在庫は少し減ったことになる。



    僕はビールを飲みながら、台所のテーブルに向って『車輪の下』を読みつづけた。最初に『車輪の下』を読んだのは中学校に入った年だった。そしてそれから八年後に、僕は女の子の家の台所で真夜中に死んだ父親の着ていたサイズの小さいパジャマを着て同じ本を読んでいるわけだ。なんだか不思議なものだなと僕は思った。もしこういう状況に置かれなかったら、僕は『車輪の下』なんてまず読みかえさなかっただろう。



    でも『車輪の下』はいささか古臭いところはあるにせよ、悪くない小説だった。僕はしんとしずまりかえった深夜の台所で、けっこう楽しくその小説を一行一行ゆっくりと読みつづけた。棚にはほこりをかぶったブラディーが一本あったので、それを少しコーヒー?カップに注いで飲んだ。ブラディーは体を温めてくれたが、眠気の方はさっぱり訪ねてはくれなかった。



    三時前にそっと緑の様子を見に行ってみたが、彼女はずいぶん疲れていたらしくぐっすりと眠りこんでいた。窓の外に立った商店街の街灯の光が部屋の中を月光のようにほんのりと白く照らしていて、その光に背を向けるような格好で彼女は眠っていた。緑の体はまるで凍りついたみたいに身じろぎひとつしなかった。耳を近づけると寝息が聞こえるだけだった。父親そっくりの眠り方だなと僕は思った。



    ベッドのわきには旅行鞄がそのまま置かれ、白いコートが椅子の背にかけてあった。机の上はきちんと整理され、その前の壁にはスヌーピーのカレンダーがかかっていた。僕は窓のカーテンを少し開けて、人気のない商店街を見下ろした。どの店もシャッターを閉ざし、酒屋の前に並んだ自動販売機だけが身をすくめるようにしてじっと夜明けを待っていた。長距離トラックのタイヤのうなりがときおり重々しくあたりの空気を震わせていた。僕は台所に戻ってブラディーをもう一杯飲み、そして『車輪の下』を読みつづけた。



    その本を読み終えたとき、空はもう明るくなりはじめていた。僕はお湯をわかしてインスタント?コーヒーを飲み、テーブルの上にあったメモ用紙にボールペンで手紙を書いた。ブラディーをいくらかもらった、『車輪の下』を買った、夜が明けたので帰る、さよなら、と僕は書いた。そして少し迷ってから、「眠っているときの君はとても可愛い」と書いた。それから僕はコーヒー?カップを洗い、台所の電灯を消し、階段を下りてそっと静かにシャッターを上げて外に出た。近所の人に見られて不審に思われるんじゃないかと心配したが、朝の六時前にはまだ誰も通りを歩いてはいなかった。例によって鴉が屋根の上にとまってあなりを睥睨しているだけだった。僕は緑の部屋の淡いピンクのカーテンのかかった窓を少し見上げてから都電の駅まで歩き、終点で降りて、そこから寮まで歩いた。朝食を食べさせる定食屋が開いていたので、そこであたたかいごはんと味噌汁と菜の漬けものと玉子焼きを食べた。そして寮の裏手にまわって一階の永沢さんの部屋の窓を小さくノックした。永沢さんはすぐに窓を開けてくれ、僕はそこから彼の部屋に入った。



    「コーヒーでも飲むか?」と彼は言ったが、いらないと僕は断った。そして礼を言って自分の部屋の引き上げ、歯をみがきズボンを脱いでから布団の中にもぐりこんでしっかりと目を閉じた。やがて夢のない、重い鉛の扉のような眠りがやってきた。



    *



    僕は毎週直子に手紙を書き、直子からも何通か手紙が来た。それほど長い手紙ではなかった。十一月になってだんだん朝夕が寒くなってきたと手紙にはあった。



    「あなたが東京に帰っていなくなってしまったのと秋が深まったのが同時だったので、体の中にぽっかり穴をあいてしまったような気分になったのはあなたのいないせいなのかそれとも季節のもたらすものなのか、しばらくわかりませんでした。レイコさんとよくあなたの話をします。彼女からもあなたにくれぐれもよろしくということです。レイコさんは相変わらず私にとても親切にしてくれます。もし彼女がいなかったら、私はたぶんここの生活に耐えられなかったと思います。淋しくなると私は泣きます。泣けるのは良いことだとレイコさんは言います。でも淋しいというのは本当に辛いものです。私が淋しがっていると、夜に闇の中からいろんな人が話しかけてきます。夜の樹々が風でさわさわと鳴るように、いろんな人が私に向って話しかけてくるのです。キズキ君やお姉さんと、そんな風にしてよくお話をします。あの人たちもやはり淋しがって、話し相手を求めているのです。



    ときどきそんな淋しい辛い夜に、あなたの手紙を読みかえします。外から入ってくる多くのものは私の頭を混乱させますが、ワタナベ君の書いてきてくれるあなたのまわりの世界の出来事は私をとてもホッとさせてくれます。不思議ですね。どうしてでしょう。だから私も何度も読みかえし、レイコさんも同じように何度か読みます。そしてその内容について二人で話しあったりします。ミドリさんという人のお父さんのことを書いた部分なんて私とても好きです。私たちは週に一度やってくるあなたの手紙を数少ない娯楽のひとつとして――手紙は娯楽なのです、ここでは――楽しみにしています。



    私もなるべく暇をみつけて手紙を書くように心懸けてはいるのですが、便箋を前にするといつもいつも私の気持は沈みこんでしまいます。この手紙も力をふりしぼって書いています。返事を書かなくちゃいけないとレイコさんに叱られたからです。でも誤解しないで下さい。私はワタナベ君に対して話したいことや伝えたいことがいっぱいあるのです。ただそれをうまく文章にすることができないのです。だから私には手紙を書くのが辛いのです。



    ミドリさんというのはとても面白そうな人ですね。この手紙を読んで彼女はあなたのことを好きなんじゃないかという気がしてレイコさんにそう言ったら、『あたり前じゃない、私だってワタナベ君のこと好きよ』ということでした。私たちは毎日キノコをとったり栗を拾ったりして食べています。栗ごはん、松茸ごはんというのがずっとつづいていますが、おいしくて食べ飽きません。しかしレイコさんは相変わらず小食で煙草ばかり吸いつづけています。鳥もウサギも元気です。さよなら」



    *



    僕の二十回目の誕生日の三日あとに直子から僕あての小包みが送られてきた。中には葡萄色の丸首のセーターと手紙が入っていた。



    「お誕生日おめでとう」と直子は書いていた。「あなたの二十歳が幸せなものであることを祈っています。私の二十歳はなんだかひどいもののまま終ってしまいそうだけれど、あなたが私のぶんもあわせたくらい幸せになってくれると嬉しいです。これ本当よ。このセーターは私とレイコさんが半分ずつ編みました。もし私一人でやっていたら、来年のバレンタイン?デーまでかかったでしょう。上手い方の半分が彼女で下手な方の半分が私です。レイコさんという人は何をやらせても上手い人で、彼女を見ていると時々私はつくづく自分が嫌になってしまいます。だって私には人に自慢できることなんて何もないだもの。さようなら。お元気で」



    レイコさんからの短いメッセージも入っていた。



    「元気?あなたにとって直子は至福の如き存在かもしれませんが、私にとってはただの手先の不器用な女の子にすぎません。でもまあなんとか間にあうようにセーターは仕上げました。どう、素敵でしょう?色とかたちは二人で決めました。誕生日おめでとう」














    一九六九年という年は、僕にどうしようもないぬかるみを思い起こさせる。一歩足を動かすたびに靴がすっぽり脱げてしまいそうな深く重いねばり気のあるぬかるみだ。

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