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しかしいくら待っても緑は出てこなかった。
「あのね、緑はすごく怒ってて、あなたとなんか話したくないんだって」とお姉さんらしい人が言った。「引越すときあなたあの子に何の連絡もしなかったでしょう?行き先も教えずにぷいといなくなっちゃって、そのままでしょ。それでかんかんに怒ってるのよ。あの子一度怒っちゃうとなかなかもとに戻らないの。動物と同じだから」
「説明するから出してもらえませんか」
「説明なんか聞きたくないんだって」
「じゃあちょっと今説明しますから、申しわけないけど伝えてもらえませんか、緑さんに」
「嫌よ、そんなの」とお姉さんらしい人は突き放すように言った。「そういうことは自分で説明しなさいよ。あなた男でしょ?自分で責任持ってちゃんとやんなさい」
仕方なく僕は礼を言って電話を切った。そしてまあ緑が怒るのも無理はないと思った。僕は引越しと、新しい住居の整備と金を稼ぐために労働に追われて緑のことなんて全く思いだしもしなかったのだ。緑どころか直子のことだって殆んど思い出しもしなかった。僕には昔からそういうところがあった。何かに夢中にするとまわりのことが全く目に入らなくなってしまうのだ。
そしてもし逆に緑が行く先も言わずにどこかに引越してそのまま三週間も連絡してこなかったとしたらどんな気がするだろうと考えてみた。たぶん僕は傷ついただろう。それもけっこう深く傷ついただろう。何故なら僕らは恋人ではなかったけれど、ある部分ではそれ以上に親密にお互いを受け入れあっていたからだ。僕はそう思うとひどく切ない気持になった。他人の心を、それも大事な相手の心を無意味に傷つけるというのはとても嫌なものだった。
僕は仕事から家に戻ると新しい机に向って緑への手紙を書いた。僕は自分の思っていることを正直にそのまま書いた。言い訳も説明もやめて、自分が不注意で無神経であったことを詫びた。君にとても会いたい。新しい家も見に来てほしい。返事を下さい、と書いた。そして速達切手を貼ってポストに入れた。
しかしどれだけ待っても返事は来なかった。
奇妙な春のはじめだった。僕は春休みのあいだずっと手紙の返事を待ちつづけていた。旅行にも行けず、帰省もできず、アルバイトもできなかった。何日頃に会いに来て欲しいという直子からの手紙がいつ来るかもしれなかったからだ。僕は昼は吉祥寺の町に出て二本立ての映画をみたり、ジャズ喫茶で半日、本を読んでいた。誰とも会わなかったし、殆んど誰とも口をきかなかった。そして週に一度直子に手紙を書いた。手紙の中では僕は返事のことには触れなかった。彼女を急かすのが嫌だったからだ。僕はペンキ屋の仕事のことを書き、「かもめ」のことを書き、庭に桃の花のことを書き、親切な豆腐屋のおばさんと意地のわるい惣菜屋のおばさんのことを書き、僕が毎日どんな食事を作っているかについて書いた。それでも返事はこなかった。
本を読んだり、レコードを聴いたりするのに飽きると、僕は少しずつ庭の手入れをした。家主のところで庭ぽうきと熊手とちりとりと植木ばさみを借り、雑草を抜き、ぼうぼうにのびた植込みを適当に刈り揃えた。少し手を入れだだけで庭はけっこうきれいになった。そんなことをしていると家主が僕を呼んで、お茶でも飲みませんか、と言った。僕は母屋の縁側に座って彼と二人でお茶を飲み、煎餅を食べ、世間話をした。彼は退職してからしばらく保険会社の役員をしていたのだが、二年前にそれもやめてのんびりと暮らしているのだと言った。家も土地も昔からのももだし、子供もみんな独立してしまったし、何をせずとものんびりと老後を送れるのだと言った。だからしょっちょう夫婦二人で旅行をするのだ、と。
「いいですね」と僕は言った。
「よかないよ」と彼は言った。「旅行なんてちっとも面白くないね。仕事してる方がずっと良い」
庭をいじらないで放ったらかしておいたのはこのへんの植木屋にろくなのがいないからで、本当は自分が少しずつやればいいのだが最近鼻のアレルギーが強くなって草をいじることができないのだということだった。そうですか、と僕は言った。お茶を飲み終ると彼は僕に納屋を見せて、お礼というほどのこともできないが、この中にあるのは全部不用品みたいなものだから使いたいものがあったらなんでも使いなさいと言ってくれた。納屋の中には実にいろんなものがつまっていた。風呂桶から子供用プールから野球のバッドまであった。僕は古い自転車とそれほど大きくない食卓と椅子を二脚と鏡とギターをみつけて、もしよかったらこれだけお借りしたいと言った。好きなだけ使っていいよと彼は言った。
僕は一日がかりで自転車の錆をおとし、油をさし、タイヤに空気を入れ、ギヤを調整し、自転車屋でクラッチ?ワイヤを新しいものにとりかえてもらった。それで自転車は見ちがえるくらい綺麗になった。食卓はすっかりほこりを落としてからニスを塗りなおした。ギターの弦も全部新しいものに替え、板のはがれそうになっていたところは接着剤でとめた。錆もワイヤ?ブラシできれいに落とし、ねじも調節した。たいしたギターではなかったけれど、一応正確な音は出るようになった。考えて見ればギターを手にしたのなんて高校以来だった。僕は縁側に座って、昔練習したドリフターズの『アップ?オン?ザ?ルーフ』を思い出しながらゆっくりと弾いてみた。不思議にまだちゃんと大体のコードを覚えていた。
それから僕は余った材木で郵便受けを作り、赤いペンキを塗り名前を書いて戸の前に立てておいた。しかし四月三日までそこに入っていた郵便物といえば転送されてきた高校のクラス会の通知だけだったし、僕はたとえ何があろうとそんなものにだけは出たくなかった。何故ならそれは僕とキズキのいたクラスだったからだ。僕はそれをすぐに屑かごに放り込んだ。
四月四日の午後に一通の手紙が郵便受けに入っていたが、それはレイコさんからのものだった。封筒の裏に石田玲子という名前が書いてあった。僕ははさみできれいに封を切り、縁側に座ってそれを読んだ。最初からあまり良い内容のものではないだろうという予感はあったが、読んでみると果たしてそのとおりだった。
はじめにレイコさんは手紙の返事が大変遅くなったことを謝っていた。直子はあなたに返事を書こうとずっと悪戦苦闘していたのだが、どうしても書きあげることができなかった。私は何度もかわりに書いてあげよう、返事が遅くなるのはいけないからと言ったのだが、直子はこれはとても個人的なことだしどうしても自分が書くのだと言いつづけていて、それでこんなに遅くなってしまったのだ。いろいろ迷惑をかけたかもしれないが許してほしい、と彼女は書いていた。
「あなたもこの一ヶ月手紙の返事を待ちつづけて苦しかったかもしれませんが、直子にとってもこの一ヶ月はずいぶん苦しい一ヶ月だったのです。それはわかってあげて下さい。正直に言って今の彼女の状況はあまり好ましいものではありません。彼女はなんとか自分の力で立ち直ろうとしたのですが、今のところまだ良い結果は出ていません。
考えて見れば最初の徴候はうまく手紙が書けなくなってきたことでした。十一月のおわりか、十二月の始めころからです。それから幻聴が少しずつ始まりました。彼女が手紙を書こうとすると、いろんな人が話しかけてきて手紙を書くのを邪魔するのです。彼女が言葉を選ぼうとすると邪魔をするわけです。しかしあなたの二回目の訪問までは、こういう症状も比較的軽度のものだったし、私も正直言ってそれほど深刻には考えていませんでした。私たちにはある程度そういう症状の周期のようなものがあるのです。でもあなたが帰ったあとで、その症状はかなり深刻なものになってしまいました。彼女は今、日常会話するのにもかなりの困難を覚えています。言葉が選べないのです。それで直子は今ひどく混乱しています。混乱して、怯えています。幻聴もだんだんひどくなっています。
私たちは毎日専門医をまじえてセッションをしています。
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