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「ところでワタナベ君、今度の日曜日は暇?あいてる?」
「どの日曜日も暇だよ。六時からアルバイトに行かなきゃならないけど」
「よかったら一度うちにあそびにこない?小林書店に。店は閉まってるんだけど、私夕方まで留守番しなくちゃならないの。ちょっと大事な電話がかかってくるかもしれないから。ねえ、お昼ごはん食べない?作ってあげるわよ」
「ありがたいね」と僕は言った。
緑はノートのベージを破って家までの道筋をくわしく地図に描いてくれた。そして赤いボールペンを出して家のあるところに巨大な×印をつけた。
「いやでもわかるわよ。小林書店っていう大きな看板が出てるから。十二時くらいに来てくれる?ごはん用意してるから」
僕は礼を言ってその地図をポケットにしまった。そしてそろそろ大学に戻って二時からのドイツ語の授業に出ると言った。緑は行くところがあるからと言って四ツ谷から電車に乗った。
日曜日の朝、僕は九時に起きて髭を剃り、洗濯をして洗濯ものを屋上に干した。素晴らしい天気だった。最初の秋の匂いがした。赤とんぼの群れ《むれ》が中庭をぐるぐるとびまわり、近所の子供たちが網をもってそれを追いまわしていた。風はなく、日の丸の旗はだらんと下に垂れていた。僕はきちんとアイロンのかかったシャツを着て寮を出て都電の駅まで歩いた。日曜日の学生街はまるで死に絶えたようにがらんとしていて人影もほとんどなく、大方の店は閉まっていた。町のいろんな物音はいつもよりずっとくっきりと響きわたっていた。木製のヒールのついたサボをはいた女の子がからんからんと音をたてながらアスファルトの道路を横切り、都電の車庫のわきでは四、五人の子供たちが空缶を並べてそれめがけて石を投げていた。花屋が一軒店を開けていたので、僕はそこで水仙の花を何本か買った。秋に水仙を買うというのも変なものだったが、僕は昔から水仙の花が好きなのだ。
日曜日の朝の都電には三人づれのおばあさんしか乗っていなかった。僕が乗るとおばあさんたちは僕の顔と僕の手にした水仙の花を見比べた。ひとりのおばあさんは僕の顔を見てにっこりと笑った。僕のにっこりとしたそしていちばんうしろの席に座り、窓のすぐそとを通りすぎていく古い家並みを眺めていた。電車は家々の軒先《のきさき》すれすれのところを走っていた。ある家の物干しにはトマトの鉢植《はちうえ》が十個もならび、その横で大きな黒猫がひなたぼっこをしていた。小さな子供が庭でしゃぼん玉をとばしているのも見えた。どこかからいしだあゆみの唄が聴こえた。カレーの匂いさえ漂っていた。電車はそんな親密な裏町を縫うようにすると走っていった。途中の駅で何人か客がこりこんできたが、三人のおばあさんたちは飽きもせず何かについて熱心に頭をつき合わせて話しつづけていた。
大塚駅の近くで僕は都電を降り、あまり見映えのしない大通りを彼女が地図に描いてくれたとおりに歩いた。道筋に並んでいる商店はどれもこれもあまり繁盛《はんじょう》しているようには見えなかった。どの店も建物は旧く、中は暗そうだった。看板の字が消えかけているものもあった。建物の旧さやスタイルから見て、このあたりが戦争で爆撃を受けなかったらしいことがわかった。だからこうした家並みがそのままに残されているのだ。もちろん建てなおされたものもあったし、どの家も増築《ぞうちく》されたら部分的に補修されたりはしていたが、そういうのはまったくの古い家より余計に汚らしく見えることのほうが多かった。
人々の多くは車の多さや空気の悪さや騒音や家賃の高さに音をあげて郊外に移っていってしまい、あとに残ったのは安アパートか社宅か引越しのむずかしい商店か、あるいは頑固《がんこ》に昔から住んでいる土地にしがみついている人だけといった雰囲気の町だった。車の排気ガスのせいで、まるでかすみがかかったみたいに何もかもがぼんやりと薄汚れていた。
そんな道を十分ばかり歩いてガソリン?スタンドの角を右に曲ると小さな商店街があり、まん中あたりに「小林書店」という看板が見えた。たしかに大きな店ではなかったけれど、僕が緑の話から想像していたほど小さくはなかった。ごく普通の町のごく普通の本屋だった。僕が子供の頃、発売日を待ちかねて少年週刊誌を買いに走っていったのと同じような本屋だった。小林書店の前に立っていると僕はなんとなく懐かしい気分になった。どこの町にもこういう本屋があるのだ。
店はすっかりシャッターをおろし、シャッターには「週刊文春?毎週木曜日発売」と書いてあった。十二時にはまだ十五分ほど間があったが、水仙の花を持って商店街を歩いて時間をつぶすのもあまり気が進まなかったので、僕はシャッターのわきにあるベルを押して、二、三歩後ろにさがって返事を待った。十五秒くらい待ったが返事はなかった。もう一度ベルを押したものかどうか迷っていると、上の方でガラガラと窓の開く音がした。見上げると緑が窓から首を出して手を振っていた。
「シャッター開けて入ってらっしゃいよ」と彼女はどなった。
「ちょっと早かったけど、いいかな?」と僕もどなりかえした。
「かまわないわよ、ちっとも。二階に上がってきてよ。私、今ちょっと手が放せないの」そしてまたガラガラと窓が閉まった。
僕はとんでもなく大きい音を立ててシャッターを一メートルほど押しあげ、身をかがめて中に入り、またシャッターを下ろした。店の中はまっ暗かった。土間《どま》からあがったところは簡単な応接室のようになっていて、ソファ?セットが置いてあった。それほど広くはない部屋で、窓からは一昔前のポーランド映画みたいなうす暗い光がさしこんでいた。左手には倉庫のような物置のようなスペースがあり、便所のドアも見えた。右手の急な階段を用心ぶかく上がっていくと二階に出た。二階は一階に比べると格段に明るかったので僕は少なからずホッとした。
「ねえ、こっち」とどこかで緑の声がした。階段を上がったところ右手に食堂のような部屋があり、その奥に台所があった。家そのものは旧かったが、台所はつい最近改築されたらしく、流し台も蛇口も収納棚もぴかぴかに新しかった。そしてそこで緑が食事の仕度をしていた。鍋で何かを煮るぐつぐつという音がして、魚を焼く匂いがした。
「冷蔵庫にビールが入ってるから、そこに座って飲んでてくれる?」と緑がちらっとこちらを見て言った。僕は冷蔵庫から缶ビールをだしてテーブルに座って飲んだ。ビールは半年くらいそこに入ってたんじゃないかと思えるくらいよく冷えていた。テーブルの上には小さな白い灰皿と新聞と醤油さしがのっていた。メモ用紙とボールペンもあって、メモ用紙には電話番号と買物の計算らしい数字が書いてあった。
「あと十分くらいでできると思うんだけど、そこで待っててくれる?待てる?」
「もちろん待てるよ」と僕は言った。
僕は冷たいビールをすすりながら一心不乱に料理を作っている緑のうしろ姿を眺めていた。彼女は素速く器用に体を動かしながら、一度に四つくらいの料理のプロセスをこなしていた。こちらで煮ものの味見をしたかと思うと、何かをまな板の上で素速く刻み、冷蔵庫から何かを出して盛りつけ、使い終わった鍋をさっと洗った。うしろから見ているとその姿はインドの打楽器《だがっき》奏者を思わせた。あっちのベルを鳴らしたかと思うとこっちの板を叩き、そして水牛の骨を打ったり、という具合だ。ひとつひとつの動作が俊敏《しゅんびん》で無駄がなく、全体のバランスがすごく良かった。僕は感心してそれを眺めていた。
「何か手伝うことあったらやるよ」と僕は声をかけてみた。
「大丈夫よ。私一人でやるのに馴れてるから」と緑は言ってちらりとこちらを向いて笑った。緑は細いブルージーンズの上にネイビーブルーTシャツを着ていた。Tシャツの背中にはアップル?レコードのりんごのマークが大きく印刷されていた。
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