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一人で片づけちゃうの。怒ることもないし、不機嫌になることもないの。本当よこれ。誇張じゃなくて。女の人って、たとえば生理になったりするとムシャクシャして人にあたったりするでしょ、多かれ少なかれ。そういうのもないの。彼女の場合は不機嫌になるかわりに沈みこんでしまうの。二ヶ月か三ヶ月に一度くらいそういうのが来て、二日くらいずっと自分の部屋に籠って寝てるの。学校も休んで、物も殆んど食べないで。部屋を暗くして、何もしないでボオッとしてるの。でも不機嫌というじゃないのよ。私が学校から戻ると部屋に呼んで、隣りに座らせて、私のその日いちにちのことを聞くの。たいした話じゃないのよ。友だちと何をして遊んだとか、先生がこう言ったとか、テストの成績がどうだったとか、そんな話よ。そしてそういうのを熱心に聞いて感想を言ったり、忠告を与えたりしてくれるの。でも私がいなくなると――たとえばお友だちと遊ぶに行ったり、バレエのレッスンに出かけたりすると――また一人でボオッとしてるの。そして二日くらい経つとそれがバタッと自然になおって元気に学校に行くの。そういうのが、そうねえ、四年くらいつづいたんじゃないかしら。はじめのうちは両親も気にしてお医者に相談していたらしいんだけれど、なにしろ二日たてばケロッとしちゃうわけでしょ、だからまあ放っておけばそのうちなんとかなるだろうって思うようになったのね。頭の良いしっかりした子だしってね。
でもお姉さんが死んだあとで、私、両親の話を立ち聞きしたことあるの。ずっと前に死んじゃった父の弟の話。その人もすごく頭がよかったんだけれど、十七から二十一まで四年間家の中に閉じこもって、結局ある日突然外に出てって電車にとびこんじゃったんだって。それでお父さんこういったのよ。『やはり血筋なのかなあ、俺の方の』って」
直子は話しながら無意識に指先ですすきの穂をほぐし、風にちらせていた。全部ほぐしてしまうと、彼女はそれをひもみたいにぐるぐると指に巻きつけた。
「お姉さんが死んでるのを見つけたのは私なの」と直子はつづけた。「小学校六年生の秋よ。十一月。雨が降って、どんより暗い一日だったわ。そのときお姉さんは高校三年生だったわ。私がピアノのレッスンから戻ってくると六時半で、お母さんが夕食の支度していて、もうごはんだからお姉さん呼んできてって言ったの。私は二階に上って、お姉さんの部屋のドアをノックしてごはんよってどなったの。でもね、返事がなくて、しんとしてるの。寝ちゃったのかしらと思ってね。でもお姉さんは寝てなかったわ。窓辺に立って、首を少しこう斜めに曲げて、外をじっと眺めていたの。まるで考えごとをしてるみたいに。部屋は暗くて、電灯もついてなくて、何もかもぼんやりとしか見えなかったのよ。私は『ねえ何してるの?もうごはんよ』って声かけたの。でもそういってから彼女の背がいつもより高くなってることに気づいたの。それで、あれどうしたんだろうってちょっと不思議に思ったの。ハイヒールはいてるのか、それとも何かの台の上に乗ってるのかしらって、そして近づいていって声をかけようとした時にはっと気がついたのよ。首の上にひもがついていることにね。天井のはりからまっすぐにひもが下っていて――それがね、本当にびっくりするくらいまっすぐなのよ、まるで定規を使って空間にピッと線を引いたみたいに。お姉さんは白いブラウス着ていて――そう、ちょうど今私が着てるようなシンプルなの――グレーのスカートはいて、足の先がバレエの爪立てみたいにキュッとのびていて、床と足の指先のあいだに二十センチくらいの何もない空間があいてたの。私、そういうのをこと細かに全部見ちゃったのよ。顔も。顔も見ちゃったの。見ないわけには行かなかったのよ。私すぐ下に行ってお母さんに知らせなくちゃ、叫ばなくちゃと思ったわ。でも体の方が言うことをきかないのよ。私の意識とは別に勝手に体の方が動いちゃうのよ。私の意識は早く下にいかなきゃと思っているのに、体の方は勝手にお姉さんの体をひもから外そうとしているのよ。でももちろんそんなこと子供の力でできるわけないし、私そこで五、六分ぼおっとしていたと思うの、放心状態で。何が何やらわけがわからなくて。体の中の何かが死んでしまったみたいで。お母さんが『何してるのよ?』って見に来るまで、ずっと私そこにいたのよ、お姉さんと一緒に。その暗くて冷たいところに……」
直子は首を振った。
「それから三日間、私はひとことも口がきけなかったの。ベッドの中で死んだみたいに、目だけ開けてじっとしていて。何がなんだか全然わからなくて」直子は僕の腕に身を寄せた。「手紙に書いたでしょ?私はあなたが考えているよりずっと不完全な人間なんだって。あなたが思っているより私はずっと病んでいるし、その根はずっと深いのよ。だからもし先に行けるものならあなた一人で先に行っちゃってほしいの。私を待たないで。他の女の子と寝たいのなら寝て。私のことを考えて遠慮したりしないで、どんどん自分の好きなことをして。そうしないと私はあなたを道づれにしちゃうかもしれないし、私、たとえ何があってもそれだけはしたくないのよ。あなたの人生の邪魔をしたくないの。誰の人生の邪魔もしたくないの。さっきも言ったようにときどき会いに来て、そして私のことをいつまでも覚えていて。私が望むのはそれだけなのよ」
「僕は望むのはそれだけじゃないよ」と僕は言った。
「でも私とかかわりあうことであなたは自分の人生を無駄にしてるわよ」
「僕は何も無駄になんかしてない」
「だって私は永遠に回復しないかもしれないのよ。それでもあなたは私を待つの?十年も二十年も私を待つことができるの?」
「君は怯えすぎてるんだ」と僕は言った。「暗闇やら辛い夢うやら死んだ人たちの力やらに。君がやらなくちゃいけないのはそれを忘れることだし、それさえ忘れれば君はきっと回復するよ」
「忘れることができればね」と直子は首を振りながら言った。
「ここを出ることができたら一緒に暮らさないか?」と僕は言った。「そうすれば君を暗闇やら夢やらから守ってあげることができるし、レイコさんがいなくてもつらくなったときに君を抱いてあげられる」
直子は僕の腕にもっとぴったりと身を寄せた。そうすることができたら素敵でしょうね」と直子は言った。
我々がコーヒー?ハウスに戻ったのは三時少し前だった。レイコさんは本を読みながらFM放送でブラームスの二番のピアノ協奏曲を聴いていた。見わたす限り人影のない草原の端っこでブラームスがかかっているというのもなかなか素敵なものだった。三楽章のチェロの出だしのメロディーを彼女は口笛でなぞっていた。
「バックハウスとベーム」とレイコさんは言った。「昔はこのレコードをすれきれるくらい聴いたわ。本当にするきれっちゃたのよ。隅から隅まで聴いたの。なめつくすようにね」
僕と直子は熱いコーヒーを注文した。
「お話はできた?」とレイコさんは直子に訊ねた。
「ええ、すごくたくさん」と直子は言った。
「あとで詳しく教えてね、彼のがどんなだったか」
「そんなこと何もしてないわよ」と直子が赤くなって言った。
「本当に何もしてないの?」とレイコさんは僕に訊いた。
「してませんよ」
「つまんないわねえ」とレイコさんはつまらなそうに言った。
「そうですね」と僕はコーヒーをすすりながら言った。
夕食の光景は昨日とだいたい同じだった。雰囲気も話し声も人々の顔つきも昨日そのままで、メニューだけが違っていた。昨日無重力状態での胃液の分泌について話していた白衣の男が僕ら三人のテーブルに加わって、脳の大きさとその能力の相関関係についてずっと話していた。僕らは大豆のハンバーグ?ステーキというのを食べながら、ビスマルクやナポレオンの脳の容量についての話を聞かされていた。
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