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もし私が人生の順番を組みかえることができたとしたら、あれをファースト?キスにするわね、絶対。そして残りの人生をこんな風に考えて暮らすのよ。私が物干し台の上で生まれてはじめてキスをしたワタナベ君っていう男の子に今どうしてるだろう?五十八歳になった今は、なんてね。どう、素敵だと思わない」
「素敵だろうね」と僕はビスタチオの殻をむきながら言った。
「たぶん世界にまだうまく馴染めていないだよ」と僕は少し考えてから言った。「ここがなんだか本当の世界にじゃないような気がするんだ。人々もまわりの風景もなんだ本当じゃないみたいに思える」
緑はカウンターに片肘をついて僕の顔を見つめた。「ジム?モリソンの歌にたしかそういうのあったわよね」
「People are strange when you are a stranger」
「ピース」と緑は言った。
「ピース」と僕も言った。
「私と一緒にウルグァイに行っちゃえば良いのよ」と緑はカンタンーに片肘をついたまま言った
「恋人も家族も大学も何にもかも捨てて」
「それも悪くないな」と僕は笑って言った。
「何もかも放り出して誰も知っている人のいないところに行っちゃうのって素晴らしいと思わない?私ときどきそうしたくなちゃうのよ、すごく。だからもしあなたが私をひょいとどこか遠くに連れてってくれたとしたら、私あなたのために牛みたいに頑丈な赤ん坊いっばい産んであげるわよ。そしてみんなで楽しく暮らすの。床の上をころころと転げまわって」
僕は笑って三杯めのウォッカ?トニックを飲み干した。
「牛みたいに頑丈な赤ん坊はまだそれほど欲しくないのね?」と緑は言った。
「興味はすごくあるけれどね。どんなだか見てみたいしね」と僕は言った。
「いいのよべつに、欲しくなくだって」緑はピスタチオを食べながら言った。「私だって昼下がりにお酒飲んであてのないこと考えてるだけなんだから。何もかも放り投げてどこかに行ってしまいたいって。それにウルグァイなんか行ったってどうせロバのウンコくらいしかないのよ」
「まあそうかもしれないな」
「どこもかしこもロバのウンコよ。ここにいったって。向うに行ったって、世界はロバのウンコよ。ねえ、この固いのあげる」緑は僕に固い殻のビスタチをくれた。僕は苦労してその殻をむいた。
「でもこの前の日曜日ね、私すごくホッとしたのよ。あなたと二人で物干し場に上がって火事を眺めて、お酒飲んで、唄を唄って。あんなにホっとしたの本当に久しぶりだったわよ。だってみんな私にいろんなものを押しつけるだもの。顔をあわせればああだこうだってね。少くともあなたは私に何も押しつけないわよ」
「何かを押しつけるほど君のことをまだよく知らないんだよ」
「じゃあ私のことをもっとよく知ったら、あなたもやはり私にいろんなものを押しつけてくる?他の人たちと同じように」
「そうする可能性はあるだろうね」と僕は言った。「現実の世界では人はみんないろんなものを押しつけあって生きているから」
「でもあなたはそういうことしないと思うな。なんとなくわかるのよ、そういうのが。押しつけたり押しつけられたりすることに関しては私ちょっとした権威だから。あなたはそういうタイプではないし、だから私あなたと一緒にいると落ちつけるのよ。ねえ知ってる?世の中にはいろんなもの押しつけたり押しつけられたりするのが好きな人ってけっこう沢山いるのよ。そして押しつけた、押しつけられたってわいわい騒いでるの。そういうのが好きなのよ。でも私はそんななの好きじゃないわ。やらなきゃ仕方ないからやってるのよ」
「どんなものを押しつけたり押しつけられたりしているの君は?」
緑は氷を口に入れてしばらく舐めていた。
「私のこともっと知りたい?」
「興味はあるね、いささか」
「ねえ、私は『私のこともっと知りたい?』って質問したのよ。そんな答えっていくらなんでもひどいと思わない?」
「もっと知りたいよ、君のことを」と僕は言った。
「本当に?」
「本当に」
「目をそむけたくなっても?」
「そんなにひどいの?」
「ある意味ではね」と緑は言って顔をしかめた。「もう一杯ほしい」
僕はウェイターを呼んで四杯めを注文した。おかわりが来るまで緑はカウタンーに頬杖をついていた。僕は黙ってセロニアス?モンクの弾く「ハニサックル?ローズ」を聴いていた。店の中には他に五、六の客がいたが酒を飲んでいるのは我々だけだった。コーヒーの香ばしい香りがうす暗い店内に午後の親密な空気をつくり出していた。
「今度の日曜日、あなた暇?」と緑が僕に訊いた。
「この前も言ったと思うけれど、日曜日はいつも暇だよ。六時からのアルバイトを別にすればね」
「じゃあ今度の日曜日、私につきあってくれる?」
「いいよ」
「日曜日の朝にあなたの寮に迎えに行くわよ。時間ちょっとはっきりわからないけど。かまわない?」
「どうぞ。かまわないよ。」と僕は言った。
「ねえ、ワタナベ君。私が今何にをしたがっているわかる?」
「さあね、想像もつかないね」
「広いふかふかしたベットに横になりたいの、まず」と緑は言った。「すごく気持がよくて酔払っていて、まわりにはロバのウンコなんて全然なくて、となりにはあなたが寝ている。そしてちょっとずつ私の服が脱がせる。すごくやさしく。お母さんが小さな子供の服を脱がせるときみたいに、そっと」
「ふむ」と僕は言った。
「私途中まで気持良いなあと思ってぼんやりとしてるの。でもね、ほら、ふと我に返って『だめよ、ワタナベ君!』って叫ぶの。『私ワタナベ君のこと好きだけど、私には他につきあってる人人がいるし、そんなことできないの。私そういうのけっこう堅いのよ。だからやめて、お願い』って言うの。でもあなたやめないの」
「やめるよ、僕は」
「知ってるわよ。でもこれは幻想シーンなの。だからこれはこれでいいのよ」と緑は言った。「そして私にばっちり見せつけるのよ、あれを。そそり立ったのを。私すぐ目を伏せるんだけど、それでもちらっとみえちゃうのよね。そして言うの、『駄目よ、本当に駄目、そんなに大きくて固いのとても入らないわ』って」
「そんなに大きくないよ。普通だよ」
「いいのよ、べつに。幻想なんだから。するとね、あなたはすごく哀しそうな顔をするの。そして私、可哀そうだから慰めてあげるの。よしよし、可哀そうにって」
「それがつまり君が今やりたいことなの?」
「そうよ」
「やれやれ」と僕は言った。
全部で五杯ずつウォッカ?トニックを飲んでから我々は店を出た。僕が金を払うとすると緑は僕の手をぴしゃっと叩いて払いのけ、財布からしわひとつない一万円札をだして勘定を払った。
「いいのよ、アルバイトのお金入ったし、それに私が誘ったんだもの」と緑は言った。「もちろんあなたが筋金入りのファシストで女に酒なんかおごられたくないと思ってるんなら話はべつだけど」
「いや、そうは思わないけど」
「それに入れさせてもあげなかったし」
「固くて大きいから」と僕は言った。
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