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そんなわけで、大人たちも、雑談したり、なにか食べてる暇はなく、いつも子供達と、一緒にやってる気分だった。綱引きは、校長先生を始め、全部の先生も二組に別れて、子供達の中に混じって、「オー?エス?オー?エス!!」と引っ張った。綱の真ん中の、ハンカチの縛ってあるところに、いつも注意して、「どっちの組が勝ち!」というのは、泰明ちゃんとか、体の不自由で、引っ張ることの出来ない子供達も役目だった。そして、最後の全校リレーが、また、トモエらしいのだった。何しろ、リレーといっても、長く走るところは、あまりなく、勝負どころは、学校の中央にあたる、つまり門に向いて、お扇子型に広がっている、講堂に上がるコンクリートの階段を、かけのぼって、駆け降りて来る、という、他には類のないリレーコースだった。ところが、一見、たわいなく見えるのに、この階段の一段一段の高さが、普通の階段より、ずーっと低く、傾斜がゆるく、しかも、このリレーのときは、何段も一足飛びにやってはいけなく、丁寧に、一段一段上って一段一段降りて来る、というのだから、足の長い子や、背の高い子には、むしろ、むずかしかった。でも、これは、子供達にとって、毎日、お弁当の時間に駆け上がる階段が、「運動会用」となると、また別のもののように思えて面白く、新鮮で、みんなキャアキャアいって、上がったり、降りたりした。それは遠くから見ていると、美しく、万華鏡のようにさえ、見えた。階段は、てっぺんまで入れて、八段あった。さてトットちゃん達一年生にとって、初めての運動会は、校長先生の希望通り、晴天で始まった。みんなで、前の日から、折り紙で作った、くさりとか、金色の星とか、いっぱい飾ったからとってもお祭りみたいだったし、レコードの音楽も気持ちがウキウキするようなマーチだった。トットちゃんは、白いブラウスに、紺のショートパンツ、という、いでたちだった。本当は、絶対に、ひだのたくさんはいった、ブルーマーがよかったんだけど……。トットちゃんは、ブルーマーに憧れていた。それは、この前、トットちゃん達の授業が終わったあと、校長先生がお幼稚園の保母さん達に、校庭でリトミックの講習というのをしてるとき、数人の女の人が、ブルーマーをはいていて、それがトットちゃんの目を引いたのだった。なぜ、ブルーマーがよかったかというと、そのブルーマーをはいたお姉さんが、足を、「トン!」と地面につけると、ブルーマーから出ている腿が、“プルルン”と揺れて、それがなんとも、大人っぽくてトットちゃんは、(いいなあ)
と、憧れたのだった。だからとっとちゃんは、走って家に帰ると、自分のショートパンツを引っ張り出し、「トン!」とやってみた。でも、まだ一年生の女の子の、やせた腿では、“プルルン”にならなかった。何度もやってみた結果、トットちゃんはこう考えた。「あのお姉さんのはいていたのなら“プルルン”になる!」ママにお姉さんのはいてたのを説明したら、それが“ブルーマー”というものだとわかった。だからトットちゃんは、絶対に運動会には、「ブルーマー」とママに頼んでいたんだけど、小さいサイズが手に入らないということで、残念ながら、“ブルーマー”なしの、ショートパンツ、というのが、今日のトットちゃんの、いでたち、というわけだった。さて、運動会が始まって、驚くことが起こった。それは、どの競技も(たいがい全校生徒が一緒にやるのだけれど)、学校で、一番、手足が短く背の小さい、高橋君が一等になっちゃうことだった。それは本当に信じられないことだった。みんなが、モゾモゾしてる鯉のぼりを、高橋君は、ササーッ!と通り抜けてしまったし、梯子に、みんなが頭を突っ込んでる頃、すでに梯子をくぐった高橋君は、さっさと何メートル先を走っていた。そして講堂の階段のぼりのリレーに到っては、みんながブキッチョに、一段一段やってる時、高橋君の短い足は、まるでピストンのように一気に上りつめ、映画の早回しフィルムのように、降りて来た。結局、みんなが、「高橋君に勝とう!!」と、誓い合い、真剣にやったのにもかかわらず、全部、一等になったのは、高橋君だった。トットちゃんも随分、頑張ったけど、ひとつも高橋君には勝てなかった。普通に走るところでは勝つけれど、その先の、いろんなことで、結局、負けちゃうのだった。高橋君は、自慢そうに、鼻をすこしピクピクさせ、うれしさと喜びを、いっぱいに体で表現しながら、一等のごほうびを受け取った。どれも一等だから、いくつも、いくつも、受け取った。みんなは、うらやましく、それを見ていた。「来年は高橋君に勝とう!」みんな、心の中でそう思った。(でも、結局、毎年、運動会の花形は、高橋君になるのだけど……)\ ところで、この運動会の、ごほうびというか、賞品が、また校長先生らしいものだった。何しろ、一等が「大根一本」、二等は「ゴボウ二本」、三等は「ホーレン草一束」という具合なんだから。だからトットちゃんは、随分、大きくなるまで、運動会のごほうびは、「どこでも、野菜」だと思っていたくらいだった。\ その頃、ほかの学校では、たいがい、ノートや鉛筆や、消しゴムなどだった。でも、ほかの学校のことを知らなくても、みんな、野菜というのには、少し抵抗があった。というのは、トットちゃんにしても、ゴボウとおねぎをいただいたんだけど、それを持って電車に乗るのはなんだか恥ずかしい気がした。そして、この野菜のごほうびは、三等以下にも、いろんな名目で配られたから、運動会の終わったとき、トモエの生徒、みんなが野菜を持っていた。何で野菜を持って学校から帰るのが恥ずかしいのか、よくわかんなかったkど、「ちょっと、かわってる」といわれるといやだといった子も、いたようだった。お母さんに頼まれて、家から、おつかいカゴなんかもって八百屋さんに行くのなら、恥ずかしくないんだけど。キャベツがあったデブの男の子は、持ちにくそうに、あれこれ、抱え方を研究してたけど、とうとう、「やーだよ。こんなの持ってかえるの恥ずかしいよオー.捨てちゃおうかなあー」といった。校長先生は、みんながグズグズ言ってるらしいって聞いたのか、人参だの、大根だのを、ぶら下げてるみんなのところに来て、いった。「何だ、いやかい?今晩、お母さんに、これを料理してもらってごらん?君達が自分で手に入れた野菜だ。これで、家の人みんなの、おかずが出来るんだぞ。いいじゃないか!きっと、うまいぞ!」そういわれてみると、たしかにそうだった。トットちゃんにしても、自分の力で、晩御飯のおかずを手に入れたことは、生まれて初めてだった。だから、トットちゃんは、校長先生にいった。「私のゴボウで、キンピラをままに作ってもらう!おねぎは、まだわかんないけど……」そうなると、みんなも口々に、自分の考えた献立を先生に言った。先生は、顔を真っ赤にして笑いながら、うれしそうにいった。「そうか!わかってくれたかい?」校長先生は、この野菜で、晩御飯を食べながら、家族で楽しく、今日の運動会のことを話してくれたらいい、と思ってたかも知れない。そして、特に、自分で手に入れた一等賞で、食卓が溢れた高橋君が、「その、喜びを覚えてくれるといい」。背が伸びない、小さい、という肉体的なコンプレックスを持ってしまう前に、「一等になった自信を、忘れないでほしい」と校長先生は考えていたに違いなかった。そして、もしかすると、もしかだけど、校長先生の考えたトモエ風競技は、どれも高橋君が一等になるように、出来ていたのかも、知れなかった……
生徒たちは、校長先生を、「小林一茶!一茶の親父のはげ頭!」などと呼ぶことが、よくあった。それは、校長先生の名前が「小林宗作」であり、また、校長先生が、よく俳句の話をして、中でも素晴らしいのが、「小林一茶」である、といつも言っていたから、生徒たちは、両方を混ぜて、先生をそう呼び、校長先生はもちろんだけど、一茶さんをも、友達のように思っていた。先生は、一茶の句が率直であり、生活の中から出ていることが好きだった。何十万人いたかわからない当時の俳人の中で、誰も真似の出来ない自分だけの世界を作り、こんな、子供みたいな句が作れる人を尊敬もし、うらやましくも思っていた。だから、折りあるごとに、子供たちに一茶の句を教え、子供たちも、みんなそれを暗誦していた。「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」「やれ打つな 蠅が手をする 足をする」それから、小林先生が即興に作曲したメロディーで、「われと来て 遊べや 親のない雀」を、みんなで歌うこともあった。
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