第41章

小说:挪威的森林(中日双语版)作者:村上春树字数:3511更新时间 : 2017-07-31 14:04:04

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でも嬉しかったわ。またピアノが弾けるんだわって思ってね。そういう風にピアノを弾いていると、自分がどれほど音楽が好きだったかっていうのがもうひしひしとわかるのよ。そして自分がどれほどそれに飢えていたかっていうこともね。でも素晴らしいことよ、自分自身のために音楽が演奏できるということはね。



    さっきも言ったように私は四つのときからピアノを弾いてきたわけだけれど、考えてみたら自分自身のためにピアノを弾いたことなんてただの一度もなかったのよ。テストをパスするためとか、課題曲だからとか人を感心させるためだとか、そんなためばかりにピアノを弾きつづけてきたのよ。もちろんそういうのは大事なことではあるのよ、ひとつの楽器をマスターするためにはね。でもある年齢をすぎたら人は自分のために音楽を演奏しなくてはならないのよ。音楽というのはそういうものなのよ。そして私はエリート?コースからドロップ?アウトして三十一か三十二になってやっとそれを悟ることができたのよ。子供を幼稚園にやって、家事はさっさと早くかたづけて、それから一時間か二時間自分の好きの曲を弾いたの。そこまでは何も問題はなかったわ。ないでしょう?」



    僕は肯いた。



    「ところがある日顔だけ知ってて道で会うとあいさつくらいの間柄の奥さんが私を訪ねてきて、実は娘があなたにピアノを習いたがってるんだけど教えて頂くわけにはいかないだろうかっていうの。近所っていってもけっこう離れてるから、私はその娘さんのことは知らなかったんだけれど、その奥さんの話によるとその子は私の家の前を通ってよく私のピアノを聴いてすごく感動したんだっていうの。そして私の顔も知っていて憧れているっていうのね。その子は中学二年生でこれまで何度かは先生についてピアノを習っていたんだけれど、どうもいろんな理由でうまくいかなくて、それで今は誰にもついていないってことなの。



    私は断ったわ。私は何年もブランクがあるし、まったくの初心者ならともかく何年もレッスンを受けた人を途中から教えるのは無理ですって言ってね。だいいち子供の世話が忙しくてできませんって。それに、これはもちろん相手には言わなかったけれど、しょっちゅう先生を変える子って誰がやってもまず無理なのよ。でもその奥さんは一度でいいから娘に会うだけでも会ってやってくれって言うの、まあけっこう押しの強い人で断ると面倒臭そうだったし、まあ会いたいっていうのをはねつけるわけにもいかないし、会うだけでいいんならかまいませんけどって言ったわ。三日後にその子は一人でやってきたの。天使みたいにきれいな子だったわ。もうなにしろね、本当にすきとおるようにきれいなの。あんなきれいな女の子を見たのは、あとにも先にもあれがはじめてよ。髪がすったばかりの墨みたいに黒く長くて、手足がすらっと細くて、目が輝いていて、唇は今つくったばかりっていった具合に小さくて柔らかそうなの。私、最初みたとき口きけなかったわよ、しばらく。それくらい綺麗なの。その子がうちの応接間のソファーに座っていると、まるで違う部屋みたいにゴージャスに見えるのよね。じっと見ているとすごく眩しくね、こう目を細めたくなっちゃうの。そんな子だったわ。今でもはっきりと目に浮かぶわね」



    レイコさんは本当にその女の子の顔を思い浮かべるようにしばらく目を細めていた。



    「コーヒーを飲みながら私たち一時間くらいお話したの。いろんなことをね。音楽のこととか学校のこととか。見るからに頭の良い子だったわ。話の要領もいいし、意見もきちっとして鋭いし、相手をひきつける天賦の才があるのよ。怖いくらいにね。でおその怖さがいったい何なのか、そのときの私にはよくかわらなかったわ。ただなんとなく怖いくらいに目から鼻に抜けるようなところがあるなと思っただけよ。でもね、その子を前に話をしているとだんだん正常な判断がなくなってくるの。つまりあまりにも相手が若くて美しいんで、それに圧倒されちゃって、自分がはるかに劣った不細工な人間みたいに思えてきて、そして彼女に対して否定的な思いがふと浮んだとしても、そういうのってきっとねじくれた汚い考えじゃないかっていう気がしちゃうわけ」



    彼女は何度か首を振った。



    「もし私があの子くらいで綺麗で頭良かったら。私ならもっとまともな人間になるわね。あれくらい頭がよくて美しいのに、それ以上の何が欲しいっていうのよ?あれほどみんなに大事にされているっていうのに、どうして自分より劣った弱いものをいじめたり踏みつけたりしなくちゃいけないのよ?だってそんなことしなくちゃいけない理由なんて何もないでしょう?」



    「何かひどいことをされたんですか?」



    「まあ順番に話していくとね、その子は病的な嘘つきだったのよ。あれはもう完全な病気よね。なんでもかんでも話を作っちゃうわけ。そして話しているあいだは自分でもそれを本当だと思いこんじゃうわけ。そしてその話のつじつまを合わせるために周辺の物事をどんどん作り変えていっちゃうの。でも普通ならあれ、変だな、おかしいな、と思うところでも、その子は頭の回転がおそろしく速いから、人の先に回ってどんどん手をくわえていくし、だから相手は全然気づかないのよ。それが嘘であることにね。だいたいそんなきれいな子がなんでもないつまらないことで嘘をつくなんて事誰も思わないの。私だってそうだったわ。私、その子のつくり話半年間山ほど聞かされて、一度も疑わなかったのよ。何から何まで作り話だっていうのに、馬鹿みたいだわ、まったく」



    「どんな嘘をつくんですか?」



    「ありとあらゆる嘘よ」とレイコさんは皮肉っぽく笑いながら言った。「今も言ったでしょう?人は何かのことで嘘をつくと、それに合わせていっぱい嘘をつかなくちゃならなくなるのよ。それが虚言症よ。でも虚言症の人の嘘というのは多くの場合罪のない種類のものだし、まわりの人にもだいたいわかっちゃうものなのよ。でもその子の場合は違うのよ。彼女は自分を守るためには平気で他人を傷つける嘘をつくし、利用できるものは何でも利用しようよするの。そして相手によって嘘をついたりつかなかったりするの。お母さんとか親しい友だちとかそういう嘘をついたらすぐばれちゃうような相手にはあまり嘘はつないし、そうしなくちゃいけないときには細心の注意を払って嘘をつくの。決してばれないような嘘をね。そしてもしばれちゃうようなことがあったら、そのきれいな目からぼろぼろ涙をこぼして言い訳するか謝るかするのよ、すがりつくような声でね。すると誰もそれ以上怒れなくなっちゃうの。



    どうしてあの子が私を選んだのか、今でもよくわからないのよ。彼女の犠牲者として私を選んだのか、それとも何かしらの救いを求めて私を選んだのかがね。それは今でもわからないわ、全然。もっとも今となってはどちらでもいいようなことだけれどね。もう何もかも終ってしまって、そして結局こんな風になってしまったんだから」



    短い沈黙があった。



    「彼女のお母さんが言ったことを彼女またくりかえしたの。うちの前を通って私のピアノを耳にして感動した。私にも外で何度か会って憧れてたってね。『憧れてた』って言ったのよ。私。赤くなっちゃったわ。お人形みたいに綺麗な女の子に憧れるなんでね。でもね、それはまるっきりの嘘ではなかったと思うのね。もちろん私はもう三十を過ぎてたし、その子ほど美人でも頭良くもなかったし、とくに才能があるわけでもないし。でもね、私の中にはきっとその子をひきつける何かがあったのね。その子に欠けている何かとか、そういうものじゃないかしら?だからこそその子は私に興味を持ったのよ。今になってみるとそう思うわ。ねえ、これ自慢してるわけじゃないのよ」



    「かわりますよ、それはなんとなく」と僕は言った。



    「その子は譜面を持ってきて、弾いてみていいかって訊いたの。いいわよ、弾いてごらんなさいって私は言ったわ。それで彼女バッハのインベンション弾いたの。それがね、なんていうか面白い演奏なのよ。面白いというか不思議というか、まず普通じゃないのよね。

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